山川啓介について勝手にアンソロジー

今回は、わが出身高校の先輩である作詞家山川啓介(=井出隆夫1944-2017)氏について書きます。
2015年4月佐久市で長野県では21年振りという新設の佐久平浅間小学校が開校し、その校歌の作詞者が山川氏で作曲はタケカワユキヒデだった。「おお、まだご活躍中なのだ」と思ったものだ。軽井沢町在住。佐久市の岩村田には実家があり、弟さんが学習塾を経営していた。

ところが、昨年7月24日に氏の訃報が伝えられた。死因は肺がん。地元の病院だった。

なかにし礼や阿久悠とかは、作詞業のかたわら、書物なども出しており、「あああんな人」との印象も強いが、5年ほど前に山川啓介の本をネット検索したところ、『驛の記憶』(03年10月・小学館)だけがヒットした。1回読んだまま、本棚に眠っていた本を取りだし、勝手に〝素顔の山川啓介像〟をアンソロジーしてみた。
本は真島光秀(写真家・1946-2009)とのコラボで、日本全国の駅風景を四季順に並べ、山川が詞を付けたものである。

勝手なイメージのまま、つなげてみると意外と面白い効果があった。これはご隠居だけで楽しむのはモッタイナイと思ったのであった。もちろん原著を読んでいただければそれに過ぎることはない。真島氏の写真もご覧いただきたい。

(引用開始)
桜の花は どこかさみしいって
言うたび彼は 笑って抱きしめた

あれはまだ
使いきれない若さが
世界中に あふれてた頃

春の希望の うしろで
たった今 生命を終えた
誰かの 理想がある

この世界
男たちの夢の総量は
あらかじめ 定められている

父が息子に 老人が若者に
見知らぬ男が
見知らぬ手のひらに
それと知らず
渡して来たのだ

君の駅へ ぼくが送り
ぼくの駅へ 君が送って
それでもつきない 会話
たわいない おしゃべり

終電車が 出てゆくまで
おなじことを くりかえしても
やっぱりできない さよなら
離せない 指先

新しい麦わら帽子は
香しい冠だった
虫取り網と釣り竿が
無敵の武器だった

真昼の街のサヨナラ
もう会えない人
泣ける場所がほしくて
思わず飛び込んだ
ガードわきの映画館

あんなにも 心躍る夏が
ただ 暑いだけの
ありふれた季節に なってしまったのは
いったい いつからだろう

おやじ…
息子はあんたの 下駄をつっかけ
ひとり送り火 焚いている
他人になった 妻と子らは
どこでこの夏を 過ごしただろう
上りの列車に ゆられて帰れば
もうすぐあんたの 年になる

なぜ 涙が出るのでしょう
青空に銀の 昼の月
世界中を 幸福にして
はじめて君は しあわせになる
あの人の声が したような
注文の多い料理店

おかえりという
あの声を

もういちど聞きたいのです
かあさん

誰もいない駅の
誰もいないホームで
誰も乗っていないだろう
汽車を待つ

伝言板には 終わった夏の
拭い忘れた 約束の文字

駅前ポストに ひっそり眠る
届くことのない 手紙たち

ひと頃なにかってば
失恋したやつらが
北のほうへ逃げてくる歌が
流行ったしょ
そのたんびに
思い出だの涙だの
棄てていかれるんじゃ
たまったもんじゃねえべさ
だからこっそり国鉄に頼んで
青函連絡船を
廃止してもらったんだ

雪には音も においもあると
あなたが言うたび 笑ったわ

北国生まれの 若者と
都会育ちの 勝ち気な娘

うるんだ胸で 溶けるのは
別れてから知る ことばかり

絶望の寒さは
絶対零度なんかじゃない

でも見ててごらん
時はしたたかな魔法使い
どんな心の真冬日も
少しずつ変えてしまう
それぞれの春に

酒で死んだと 聞いた友
グラスを片手に 思い出す

グラスの中に 海がある
ぽつりと言う声 よみがえる
酔って語った どの夢も
おかしいくらいに 若かった
(引用終了)

お亡くなりになってから顧みれば、「あとがき」も意味深である。
「あまりに月並みなたとえですが、生きることはやっぱり旅に似ています。ぼくたちはこうして出会い、ひとひらの感謝とともに別れてゆきましょう。この本を手にしてくださった名も知れぬあなたもまた」

ご冥福をお祈りします。

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